洗合城

別名 荒隈城
     洗骸城 
付近住所 島根県松江市堂形町589 現在 天倫寺
2008/11/25 案内板アリ 日本城郭大系


毛利元就  永禄5年(1562年)中国平定をめざす毛利元就は、この辺りに山城を築き、富田城攻略の前線拠点としました。毛利元就がここに城を築いた理由は、前面に宍道湖を眺められるこの地が見通しがきき、兵員や物資の輸送に便利であること、中海と宍道湖を結ぶ水道をおさえることができること、また法吉の白鹿城-当時尼子氏の支城「出雲十旗」の筆頭の城-を攻めるのに絶好の地だったことなどが考えられます。城の範囲は東は天倫寺のある辺り、西は南平台住宅地全域、北は国屋地区の県道沿いまでであったようです。過去2回の発掘調査で郭、土塁、柵、掘り切りの遺構が発見されています。また、出土品として、灯明具、明時代の青磁片、小型和鏡、古銭等があります。ここから毛利元就は、永禄6年(1563年)白鹿城を攻撃して勝利し、永禄7年(1564年)本陣を東出雲町京羅木山に移しました。

            


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